ウチのちょうど真裏にある大きなお寺です。
お寺の多いこの地区の中でもひと際大きな本堂があり
子供のころは広い境内で三角ベースなどをしてよく遊ばせてもらったものです。
幾多の変遷を経て約300年前から仁王門に
三条通に開けたわずかな道の突き当りに見える「本山要法寺」は、開祖日蓮大聖人の教えをあおぐ日蓮本宗の本山。
大聖人が世を去った後にその門下には顕本法華宗や法華宗陣門流などいくつもの宗派が生まれ、日蓮本宗もそのひとつとして法脈を継いでいる。
要法寺の開祖は大聖人の孫弟子にあたる日尊(にちぞん)上人。
上人は西日本を中心に単身で12年にわたる全国布教を成し遂げ、説法の場となる寺を36院も築いている。
京都の拠点は、夷川醒ヶ井に置いた法華堂。その法華堂が六角油小路(中京区)へ移り、正慶2年(1333)に「上行院(じょうぎょういん)」となったのが、「本山要法寺」の始まりとされる。
歴史は目まぐるしく、「上行院」は後に別の寺と統合し、「要法寺」となる。
組織変更だけでなく、場所もまたさまざまな変遷をたどった。
秀吉の町割では寺町二条へ、他宗に追いやられ大阪の堺に移ったこともあった。
ようやく今の場所に落ち着いたのは300年前。閑静な住宅地に根を下ろしている。
信仰心の篤さを物語る60年かけた本堂
薄鼠色の法衣を纏う丹治日遠(にちおん)貫首は、2014年に日蓮本宗の最高位、日蓮本宗管長に就任し、1都2府7県にまたがる末寺50ケ寺を束ねている。
自坊は福島県福島市にある佛眼寺。東北は日尊上人の出身地で、福島には縁の寺も多いそうだ。
また福島とかなり距離はあるが、島根県も上人との縁が深く布教活動で何度も訪れている。
「なぜ島根だったのか、その理由は定かでないのですが、一説に坂上田村麻呂の蝦夷征討で敗れた人々に法華経を説いたのではといわれていますね」と日遠貫首は話す。
布教活動の中で他宗の僧侶でさえ改宗に至らしめたといわれる上人の説法は、人々の心を強くとらえた。
島根県の三瓶山の大半を所有する信者は、本堂建立の話しが持ち上がると木材の寄進を申し出たという。
山から切り出した欅は日本海を水路で輸送し、大阪で陸揚げしてからは牛にひかせてこの地まで運んだ。
「その木でつくった本堂は、落慶までに60年を費やしました。輸送も不便で時間もかかりますが、そうまでして自身の山の木をと思われたのは強い信仰心があったからでしょう。これが信仰心のすごさですね」。
寺の広報係を毎年買ってでる愛らしい鴨の親子
境内には本堂、開山堂、鐘楼堂のほかに、塔頭が建立されている。ゆったりと広い敷地で地元の人が憩うこともあるが、今も僧侶の学びの場であるため、基本的に本堂内部の拝観は受け付けていない。
それゆえに普段はひっそりとしているが、そんな環境が却っていいのか10年程前から境内の池で鴨が子育てをするようになった。
孵化してしばらくすると、鴨川めがけて親子が町をゆく姿は、毎年のようにニュースで取り上げられている。
いつしか寺でも成長を願うようになり、少しでも安心して暮らせるようにと手立てを講じるようになった。無事に成長した時にはまるで家族のことのように喜んでいる。
鴨の親子にも愛される古寺の授与品はお守りなど。日蓮本宗の念珠には左右に白房が2本さがるそうだが、お守りにもまた清々しい白房がかかっている。
(構成・文/古都真由美 写真/からふね屋 古都真由美 本山要法寺)
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