2020年7月31日をもって閉店されました。
現在、移転先検討中とのことです。
知らなければ地元の人でも足を踏み入れないような
怪しげな路地裏にあるお店ですが、
なんとも言えない”ゆるさ”が魅力のようです。
オープンは木曜から日曜の夜のみ。みず色の看板と路地のネオンが目印
自分たちで店をするなら、どんな風にしようか。
今から約5年前のある飲み会にいた女性3人は、そんな話で盛り上がっていた。
新丸太通の路地の奥で、木曜から日曜の夜だけオープンするバー「みず色クラブ」の延命光希さんは、その3人の内のひとり。当時は京都市立芸術大学の学生で、ほかの2人は先輩。同じ芸大の大学院に通っていた。
喫茶もできてお酒も飲めて、自分たちのグッズもつくって、それを店で売ろう。
延命さんたちの構想は、他人が聞いてもおもしろそうだと思えたに違いない。同じ酒席にいた大手出版社の若き編集者は、酒場の夢物語を現実にする開業資金を、ポンと用立ててくれたのだ。
地元の人でも見逃しそうな路地の奥にあった一軒家を紹介してくれたのは、町の人との交流を大切にしているピニョ食堂の全敞一さんだ。
「お酒を出すとなると、すんなり物件が見つからなくて。そんな時、お昼を食べにフラッと立ち寄ったピニョ食堂の全さんに相談したら、今の物件を紹介してくれたんです」。
場所も決まった、お金もある。
あとは女3人、力を合わせて店をつくり上げるだけだったはずだが「改修は思ったよりきつかったですね。解体から始めて、端材をかき集めていろいろやったりしました。最初は勢いがあったんですけど、みんな途中からだんだん嫌気がさしてきて…(笑)」。
それでも、どうにかこうにかカウンター8席と小さなテーブル1卓が置ける店を完成させた。入口には、店内の様子がわかる窓も新たに設けた。
店へ続く路地の突き当りには、どうしても置きたかったネオンサインを掲げた。そして通りには水色の看板を出し、店は始まった。
バーではなく飲み屋、目指すはスナックのような居心地
オープン当初は、週5日程営業し、昼は喫茶、夜はバーの形をとった。
3人で始めた店は、先輩2人が忙しくなるにつれて延命さん一人で立つ日が増え、いつからか完全に一人で切り盛りするようになる。
そんなある時、雑誌の掲載を機に、一人ではさばききれない程の客が一度にドッと押し寄せることになった。「これはもう無理と思って、木、金、土、日の夜だけにしようと決めたんです」。
延命さんは、大のスナック好きだ。「知らない人同士がワッと楽しく飲める。アットホームな感じがいいなと思うんです」。
だからなのか、「みず色クラブ」もバーというより、飲み屋と言いたくなる気安さと居心地を心掛けている。
メニューは月日が経つにつれて絞られていった。消えたメニューをテープで隠した卓上スタンドがそれを物語っている。
お酒は酒屋で仕入れたビール(550円~)やシードル(600円)、ワイン(450円)などを用意。カクテルは「出そうと思ってオープン時にシェイカーを買うには買ったんですけど、一度も振ったことがないんです」とのことだ。
肴は近くの酒販店から仕入れる乾きものが中心で、鶏肉のスパイシーカレーとポテトサラダだけは手づくりしている。
スパイシーカレーは、オープン当初から味に磨きをかけた特製メニュー。鶏ガラでスープをとり、しっかり時間をかけて煮込むこだわりようだ。
ポテトサラダは、揚げたガーリックスライスを入れて、マスタードとマヨネーズ、塩で味つけ。
どちらにもファンがいる。
オリジナルTシャツやグッズ目当てに来る人も
店の片隅には4周年記念の時につくったTシャツが掛かる。グッズの制作販売は、店を出すにあたってやりたかったことのひとつ。過去にはポップな靴下もつくり、若い女性客に路地奥のバーを知ってもらう呼び水にもなった。
棚にはどこかで拾ってきたような珊瑚や貝がひとつ10円で売られている。およそ酒場とは縁のなさそうな「インドネシア料理の素」なる調味料も無造作に並んでいた。
音楽プレーヤーはお世辞にもきれいと言えない状態だが、不思議と店には馴染んでいる。
散らかっているようで、まとまっているような、何とも言えない空間は、つくろうと思ってつくれるものではない。
芸大生たちが始めた店は、オープンから5年近くたった今でも学生時代のたまり場のような安堵感がある。ここでお酒を呑むもよし、晩ご飯をすませるもよし、ただ人と会って話すもよし。
ネオンサインの向こうへ、フラッと足を踏み入れたい。
(構成・文/古都真由美 写真/からふね屋 古都真由美)
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