明朝体のルーツと歴史
本を製作するのに避けては通れない書体(フォント)の話、中でも特に有名な明朝体を取り上げます。
有名とは言いましたが、新聞の本文にも使われていることからも、だれでも明朝体はご存知のはずなのですが、実際は印刷や出版、映像などの業界に携われている方以外は通常書体をいちいち気にされてはいないと思います。
しかし明朝体の歴史は非常に古くて、その名の通り、中国の明の時代には書体として確立していたようです。
とはいってもこの時代は金属活字ではなく木版の時代であり、その木版も最初は楷書体で彫られていたのですが、印刷が盛んになってきた北宋のころには作業の効率化のため楷書の諸要素を単純化した宋朝体へと移行し、さらに様式化が進み、明代には明朝体が確立したようです。
日本では明朝体は活版印刷が興隆し出した明治初期から本格的に金属活字として使われ始め、写植、デジタルフォントの時代を経て、現在でも新聞・書籍をはじめ、ありとあらゆる印刷物の主に本文用として用いられることが多い書体です。
ただ、ウェブの世界では初期の頃はまだPC画面の解像度が低かったこともあり、明朝体では視認性に問題があったため、デフォルトではゴシック体が主流となっています。
明朝体と楷書体で字形が違う!?
ところで今年は新天皇のご即位に伴い、年号は平成から令和に変わりました。
4月1日に菅官房長官が「令和」と書かれた墨書を持って発表しましたが、このとき違和感を感じた方もおられたと思います。
というのも令和の「令」の字が書き文字であるにもかかわらず、下の部分が「マ」でなかったからです。
実はどちらでも間違いではないのですが、楷書体は書き文字をベースに作られた書体ですので、本来なら書き文字であれば下の部分が「マ」であるべきところが、おそらく公用をはじめ、普段の印刷物のほとんどが明朝体が使われているためあえて明朝体に近い書き方を選ばれたのだと推測されます。
では、最初に説明したように、そもそも明朝体のルーツが楷書体であったにもかかわらずなぜ明朝体と楷書体(書き文字)で字形が違ってしまったのかと言うと、明朝体が金属活字として普及していく際に、『古いほど正しい』という考え方が広まった時期があり、楷書より古い隷書も参考にしながら明朝体が開発されたという経緯があるためです。
ですので、ほかにも代表的なところでは「しんにょう」「しめすへん」など多数で字形の違いが認められます。
明朝体の特徴と種類
さて、明朝体の特徴ですが、
- 縦画と横画はそれぞれ垂直・平行
- おおむね縦画は太く、横画は細いことです。
- 緩やかな転折では、どちらもほぼ同じ太さ
- 横画の始めの打込みや終りのウロコ
- 縦画のはね、また左右の払い
などが挙げられます。
そして活字時代に開発されたものも含め、様々な種類の明朝体が生まれ、現在も主にフォントベンダーから供給されています。
ちなみに現在弊社で対応可能な明朝体のうち主なものを一部ご紹介すると、
この中で秀英明朝は、大日本印刷が、その前身の秀英舎が開発した活字書体を100年以上にわたって引継いできた歴史ある書体で、写植時代にも写研というメーカーから発売されていましたが、近年ではモリサワからデジタルフォントとして復活しました。
こうやって並べてみると同じ明朝体といってもそれぞれフォントごとに特徴があるのがわかりますが、いざ本を創ろうとしたとき、どの書体をえらぶか迷ってしまうかもしれませんね。
そんな場合は弊社でフォントごとに数ページお客様の原稿を見本組版してみて実際の感じをみていただいてから選ぶこともできますので、お気軽にお申し付けください。