東山三条のランドマークと言える千鳥酢さん
お店の前を歩いていると、風向きに寄っては
ほんのりとしたお酢の香りが漂ってきます。
酢の香りが広がる店は三条通のランドマーク
醸造蔵風の白壁のビルが、三条通でひときわ目を引く「村山造酢」。
創業は享保年間(1716~1730)に遡り、備前の武士の出である村山家が、現在の三条木屋町で暖簾をあげた酒商に始まる。
当時の屋号は「井筒佐」。先祖の名、井筒佐兵衛に由来する。
いつ頃から酢の醸造を始めたのか定かでないそうだが、その当時、京都で大いに発展していた京友禅の作業に酢が必要とされた影響もあったに違いない。
「明治以降は化学薬品が使われるようになりましたが、それまでは酢が友禅染の色止めの役割を果たしていました。ですから京都市内にはお酢屋さんも多く、工業用を専業にしていたところもありました」。
そう話すのは10代当主村山忠彦さんだ。
染物屋が集まる通りには酢屋もたくさん店を出していた。しかし食用の扱いがないところは店を畳み、現在は京都市内に8軒、京都府北部の宮津市内に1軒のみとなった。
三条通に移転したのは明治の初め頃だ。平成9年に現在のビルに建て替えるまでは、昔ながらの商家の佇まいに「御膳醇良 天下一品 す」の看板を掲げていた。初荷を記録する古い大福帳は、今も大切に仕舞われている。
職人の技と京都の気候風土がもたらす千鳥酢
代表銘柄「千鳥酢」は、今も三条通の店の奥でつくられている。まろやかな風味は「職人の技と、発酵に必要な酢酸菌によるところが大きい」と村山さんは話す。
酢の生産菌である酢酸菌とは醸造蔵に自然と住み着いた菌のことで「偶然の産物ともいえますね。菌はそれぞれに性格があって、まろやかな風味になる私どもの酢酸菌は、京都の気候風土がもたらしたもの。その酢酸菌を使って発酵した酢を種酢にして、代々味を継承しています」。
約200坪の醸造蔵には、昔ながらの静置発酵を行う仕込み槽と機械発酵の仕込み漕の2種が据えられている。
機械発酵の仕込み槽は先代忠治郎さんの考案。
大阪大学で発酵工学の教鞭をとった忠治郎さんは、当時、大手メーカーが使用していた発酵機を、小企業にも使えるようオーダーし、限られたスペースの生産性を上げた。
約6年前には、千鳥酢を100mlの小瓶に詰めた「CoChidori」(こちどり)を発売している。それまでは、もっとも小さいサイズで360ml入りしかなく、これでは食卓に置きづらい、お土産に持って帰りづらい、そんな声に応え、村山さんの夫人や女性スタッフが中心となって商品化した。
酢を使ったプロの料理や家庭料理を丁寧に紹介
酢は体にいいと知りつつ、いざ料理となると寿司や酢の物、肉や魚の甘酢あん程度に留まるのではないだろうか。
そんな向きには、ぜひ村山造酢のオフィシャルサイトをのぞいてほしい。
そこには〝酢てきなレシピ〟なるコンテンツがあり、村山さんの夫人の手料理が写真つきでズラリと並んでいる。
すぐに作れそうなものから、手の込んだ料理までレパートリーは多彩だ。うれしいのは、そのすべてにレシピが載っていること。数は150を超える。
また、別のコンテンツでは、千鳥酢を愛用している名だたる料亭の料理も紹介。こちらもレシピが公開されている。
今や世界に活躍の場を広げる料亭が、惜しむことなくレシピを提供する信頼関係は、一朝一夕でつくれるものではない。
その関係は長く「私どもは京料理のみなさんと一緒に京都の味をつくってきました」と村山さんは胸を張る。
将来的には「さらなる品質向上と生産機能を高めるために、醸造場所をもっと広いスペースに移すことも考えております」と村山さん。
後ろには、京都大学農学部の大学院で学んだ頼もしい11代目も控えている。
(構成・文/古都真由美 写真/からふね屋 古都真由美 村山造酢株式会社)
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