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京都仁王門上ル下ル

囲碁ブーム再燃を巻き起こした棋士らプロも参拝する聖地【寂光寺】


「子供の頃は寂光寺さんの境内で遊んでいた記憶があります。
今回はじめて寺宝を拝見して、初代本因坊算砂の碁盤と碁石が
伝わっていることに大変驚きました。ここはまさしく囲碁の聖地ですね」

2度の移転を経て仁王門にたどり着いた顕本法華宗の古刹

寂光寺本因坊「元祖之道場」看板
仁王門通に面した山門に「碁道 本因坊 元祖之道場」の看板を掲げる「顕本法華宗 本山寂光寺」。
日蓮上人の教えを説く法華宗は、中世の京都で大いに広まった宗派のひとつ。
古書に「天文元年の頃、京の都に法華宗繁盛して、毎日二ケ寺、三ケ寺宛、寺院出来し、京中大方題目の巷となり」(『昔日北華録』)とあり、市中の至るところでお題目「南無妙法蓮華経」が唱えられたような勢いが、記録から伝わってくる。

寂光寺は1578年(天正6)の創建。開基は日淵上人である。
創建当初は京都御所西側に堂塔伽藍を構え、秀吉の聚楽第造営にともなう町割によって京都御所の南側、寺町通竹屋町に移転。同じ理由で寺域の明け渡しを余儀なくされたいくつかの寺院とともに、寺町を形成している。

東西59間(約107m)、南北37間(約67m)の広大な境内には、久成坊、実教院、本因坊など7つの塔頭(小寺)が築かれ、法華宗の京都十六本山の一角をなす大寺院として繁栄した。

ところが、油小路通三条上ル(中京区)にあった一軒の民家から出た火が、町中を焼き尽した宝永の大火(1708年)で塔頭もろとも焼失。
あまりの被害の大きさに、もとの場所での再建は困難とされ、周辺の寺院とともに、当時はまだ比叡山へ続く岡崎道が一本走るのみの未開地であった現在地へ再び移転している。

寂光寺 本堂
宝永の大火の後に移転し再建された現在の本堂

信長、秀吉、家康に囲碁を指南した2代目住職算砂

以前ほどではないものの、現在も約5000平方メートルの寺域を有し、境内には本堂、山門、客殿、庫裏、鐘楼堂が建立されている。奥には囲碁の歴代本因坊が眠る墓所もある。
寂光寺 本因坊の歴代墓所
囲碁の7大タイトルのひとつに数えられる本因坊は、寂光寺の2代目住職算砂上人の名に由来している。
上人は焼失前にあった塔頭本因坊に住まいし、当時から碁の名人として名を馳せていた。
8歳で大阪の堺にいた名人仙也の手ほどきを受け、その後めきめきと腕をあげた上人は、やがて信長や秀吉、家康を指南するようになる。

本因坊元祖算砂日海上人肖像画(寂光寺蔵)
法華経八巻を置く経机を前にした合掌姿の算砂上人

とりわけ家康は囲碁に熱中し、江戸幕府を開くと同時に算砂上人を江戸へ呼び寄せている。
出府を決めた上人は寂光寺住持の職を弟子に譲り、江戸へ。この時から本因坊算砂を名乗るようになり、囲碁の家元本因坊家も誕生している。
以後、本因坊家は江戸幕府碁所四家の筆頭として栄え、本因坊は21世まで世襲でその名を継承している。

22世以降、実力者が本因坊に就位するようになってから、タイトル戦におのずと注目が集まるようになった。
近年、若き棋士・井山裕太氏の活躍が伝えられると、さらに世間の関心は高まった。
寂光寺「橘の間」に置かれた碁盤
入段までに1000局は打ったという井山氏は、初の挑戦となる2012年の本因坊戦で見事勝利。
23歳2ケ月という、史上2番目の若さでタイトルを獲得している。
それだけでなく5連覇、もしくは通算10期を達成した者だけに与えられる永世本因坊も2016年に獲得。圧巻の強さをみせた。

井山氏は、永世本因坊がみえてきた頃に周囲から「号は何にするのか」と尋ねられるようになる。
号とは、永世本因坊のみが使える呼び名で、歴代は名前の一字をとるなどしている。
自身の号を決めかねていた井山氏は、寂光寺の33代目大川定信住職に相談している。

井山氏から「もし5連覇したら、名前をつけてください」と号の名づけを託されたご住職は、ある朝、御本尊の曼荼羅を前にお勤めをしていた時に、ふっと「文裕(もんゆう)」の二文字を思いつく。
「文裕の裕は本人のお名前から。文の字は本堂に祀られる文殊菩薩様を見ていてひらめいたんです」。

寂光寺 大川定信第33代住職
井山裕太氏の永世本因坊の号を託された大川定信住職

ご住職は名づけ親としての思いをこう語る。
「文殊菩薩様は、知恵を授ける菩薩です。井山本因坊も菩薩の知恵を授かって、囲碁をひとつの道として極めていってほしいと願っております」。

文の一字にはもうひとつ不思議なエピソードがある。
井山氏が生まれて初めて碁を打った相手、祖父鐡文さんの名前にも偶然文の字が使われていたのだ。
それに気づいた井山氏は、とても驚き、同時に非常に喜んだそうだ。
皆の前で号を発表したその日、住職が揮毫した色紙を胸に、堂々と本因坊文裕を宣言した。

色紙にご住職が揮毫した井山裕太氏の永世本因坊の号
色紙にご住職が揮毫した井山裕太氏の永世本因坊の号

算砂上人が愛用した400年前の碁盤や碁石、自筆の狂歌を展示

囲碁の聖地とまでいわれる寂光寺の本堂橘の間には、初代算砂上人から26世井山裕太氏まで、歴代本因坊の名を記した札が掛かっている。
歴代本因坊の名を記した札
また、応接室には算砂上人が実際に使った囲碁の道具や、上人自らの筆になる囲碁之狂歌など、貴重な寺宝が展示されている。

寂光寺 算砂上人愛用の碁盤・碁笥・碁石
算砂上人愛用の碁盤・碁笥・碁石

客殿には本因坊の対局が行われた一室「歴代本因坊対局の間」(通称)もあり、本堂、客殿ともに、住職または副住職が不在でなければ拝見することも可能だ。

寂光寺 歴代本因坊対局の間
「歴代本因坊対局の間」は井山裕太氏が本因坊戦に初めて勝利した時の碁盤をそのまま保存している

寂光寺には今や国内のみならず世界各地から参拝があり、ご住職から囲碁の歴史などを聞いたことをきっかけに、碁を始める人もあるという。
プロの参拝は頻繁で、棋士はここで授与される「囲碁上達御守」や11首の囲碁之狂歌が書かれた扇子をしのばせて、棋戦に臨んでいるのかもしれない。
囲碁上達御守
参考:『本因坊400年 手談見聞録』(金沢盛栄著、毎日新聞社刊)

寂光寺
京都市左京区仁王門通東大路西入北門前町469
電話:075-771-6962
境内自由(内部の拝観及び授与品の販売は9時から16時)

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